ブログ金沢城と兼六園日記

小正月

2013-01-15

昨日東京は大変な大雪だったようですが・・・
今朝の金沢城公園は、ほとんど積雪がありません。
不思議・・・

昨年暮れに取り付けられた注連飾りを取り外しました。
取り外した注連飾りは、初代藩主前田利家公と正室であるお松の方を祀る
尾山神社の左義長で燃やされました。

神門

尾山神社がある場所は、元の金沢城の金谷出丸で、
藩政期、前田家の別邸金谷御殿が置かれ、
鼠多門橋・鼠多門を経て玉泉院丸と繋がっていました。
金沢城公園の外周を歩くと、尾山神社との間には
今も鼠多門橋が架けられていた痕跡を見ることができます。

雪の日の石垣

2013-01-12

 金沢城公園は「石垣の博物館」と呼ばれるほど、多種多様な石垣に彩られた歴史的文化遺産です。

 ここの石垣は、その積み方により大きく「「切り込みハギ積み」、「打ち込みハギ積み」、「野面積み」に分けられ、そのほとんどがお城の近くの戸室山から切り出された「戸室石」です。

 そのうち赤みを帯びたものが「赤戸室」、青みを帯びたものが「青戸室」と呼ばれていますが、所詮は石の色です。深みや趣があっても鮮やかな色彩はありません。 ・・・ ゆえに桜のころから新緑のころ、そして紅葉のころと、残念ながら周囲の木や草花の脇役に回ることも多々あるのです。

 しかし、木枯らしが吹き、辺りが色を失う季節ともなれば、「待ってました」とばかりに、雪の鎧を身にまとい、冷たい北風をものともせずに、公園のそこかしこで金沢城公園の主役として、圧倒的な存在感で、過ぎ去りし時代への想いをかきたててくれるのです。

金沢城公園内堀

 さて、皆様はこの石垣に、いったい何を想われるのでしょうか。 

 「城内でも指折りの石垣」と云われる「二の丸北面石垣」に、白いひげをたくわえた「武将」の勇姿を想うのは、私だけでしょうか。

 

内堀に映る二の丸北面石垣

 逞しくも美しい「主役の石垣」を堪能できる「冬の金沢城公園」  

 特別名勝「兼六園」と併せて、ぜひご来園のうえお楽しみ下さるよう、お待ち申し上げております。

                                               ( 記:ジジ )

 

花が咲きました。

2013-01-08

 

今日、園内を見て回ると、
マンサクの花が咲いていました。
今年に入って一番最初の花です。
マンサクの名前は、「まず咲く」からきているという説もあるそうです。

他にも、ソシンロウバイのつぼみが大きくなっていました。
もう少しで、花が咲きそうです。

寒い日が続きますが、
兼六園は、これからいろいろな花が咲く春を迎えます。

少し色付いてきた兼六園に遊びに来て下さい。

消防出初め式

2013-01-07

石川県にお住まいの方は、テレビや新聞の報道でご覧になった方も多いと思いますが、
昨日(1月6日)、金沢城公園の新丸広場で金沢市の消防出初め式が行われました。
あいにく、小雨模様で前日までに降り積もった雪が残る寒い日でしたが、
消防団の熱気あふれる加賀鳶梯子登りや、一斉放水で雪もほとんど解けてしまったようです。

ところで、梯子登りですが、こんな道具を使っていました。

梯子

鳶口(とびくち)というのだそうです。さすがは消防団、一致団結してみんなで支えるのですね。

仕事始め

2013-01-04

2013年、巳年の仕事始めの今日、金沢は雪の朝でした。
7cmほど積もったでしょうか。
巳年に因んで、この写真です。
辰巳櫓
辰巳櫓台です。お客さんがいるのは、復元された鯉喉櫓台。
その後方に見える段々の石垣です。
今は三段に積まれていますが、明治時代に崩壊するまでは、
高さ18~24mの高石垣でした。崩壊の後、安全対策のため、
階段状に積み直したものです。
ところで、辰巳櫓の名前の由来ですが、
本丸のを中心に辰巳(南東)の方角にあるからです。
ほかにも丑寅(北東)、戌亥(北西)、申酉(西南西)の櫓がありました。
本丸を巡る際にはぜひ、たどってみて下さい。